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江戸時代、盛岡藩内にきわめて特徴のある暦が登場した。
文字を知らない人たちにも暦の知識を広め、相次ぐ飢饉の被害から少しでも農民を救おうとして、
文字ではなく、絵で表した暦が考案されたのである。この暦は俗に「めくら暦」などと呼ばれていた。
最初に作られたのは現在の岩手県八幡平市田山だが、この影響を受けやや遅れて城下の盛岡でも作られるようになった。
両者の形態や描き方などはほとんど違うので、「めくら暦」には2種類あると考えるのがよい。
作られた土地の名をかぶせて、「田山暦」「盛岡暦」と呼べば区別しやすくなる。
たとえば「入梅」は、田山暦では「小さい梅の実のついた枝」で、盛岡暦では泥棒が荷を奪い去る絵で
「荷・奪い → ニ・ウバイ」と読み取ってもらうようになっている。
本書ではこのように読み方を初めとして関連事項も載せ、2つの「めくら暦」をわかりやすく解説した。
■主な内容
・「めくら暦」を読む
・田山暦
・盛岡暦
・東北大学付属図書館所蔵の「めくら暦」
・南部の私大
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